トルチェの呟き -さみしさのつれづれに-

トルチェの呟き -さみしさのつれづれに-

2022.12.02

12/1:C’mon C’mon

よく故人は「すくってもろた」と口にされていたことを思い出します。当社は身寄りのない高齢者の方にも、住居をお貸しし、食事と介護を提供する法人です。故人は安心して過ごされていたとおもいます。

でも、おっしゃっておられた言葉は、そんな言葉どおりの意味ではなかったと感じています。

商店街にいっしょにいくと「あそこのお肉屋はええで」「あそこの魚屋はええもんうってる」「鶏肉かうんやったらあそこや」たくさんのことを教えてくれます。

「干しシイタケをじょうずにつこうてお出汁にしたらうまいで」。夜勤でお部屋にうかがうときは、いろんな話をしてくださったのは、けっしてお話がしたいだけではなく、わたしどもをいたわってくださっていたんだと思います。「首はひやしたらあきまへんで」いつも声をかけてくれてました。

うまれながらにハンディキャップがあって、ずっとご苦労なさってたこと、そんななかでも楽しみもあったこともはなしてくれていました。

ラジオの番組で、とくに「道上洋三」さんの番組をきにいってきいておられました。うちにご入居なさってからは野球の話や相撲の話にも興味をもたれるようになり、アナウンサーさんについてもよく覚えられ、こよなくラジオをきいておられました。

時折、ラジオをうまくあつかえず、困っておられたこともありました。わたしたちスタッフのなかには、はずかしながら「壊れたラジオを直してほしい」とだけ、受け止めたものもいました。でも、ほんとうは、わたしたちスタッフに話題を提供するためにききたかったのだとおもいます。ラジオをなおしてほしいのではなくて、わたしたちとはなしがしたいんだと。「あしたはさむおまっせ、きぃつけなはれや」「あしたはあつおまっせ、たまりまへんな」「道上さん、体悪いみたいでんな」「社長はんは道上さんのすんではるとこと近いんやから、きいつけて運転しなはれや」「今日のピッチャーはあかんたれやな」。日々、何気ない会話を心の支えにしてくださっていたんだと感じます。

お酒をおのみになられるかたは、多くみてきましたが、お酒を楽しみながら嗜まれるかたは、そんなにおられないと思います。わたしは、故人がお酒を味わいながら、その温度を確かめながら、のどを通るときの喜びを感じておられるようすに、心から楽しんでおられることを感じることができました。とてもすばらしく、人生の豊かさをかんじます。

伸びたつめをきらせていただくときも、力の入らない手を信頼してあずけてくださいました。ずっとご自身でなさってきたことを、人にあずけることはなかなかにむつかしいことだと思います。

ホームでのくらしは、振り返ればとても長く、人生の四分の一にほどになることもあります。その何年かが残酷な言い方ですが「時間を過ごした」だけになるのか、それとも「人生を過ごした」か、わたしはお預かりしている責任を感じます。本日、斎場でお見送りさせていただいたとき、確かに故人は、うちのホームで「人生をすごされた」と感じました。うちにきてくれてよかった、うちですごしてくださってよかったとほんとうにおもえました。

故人にこころから感謝を申し上げたいと思います。わたしどもこそすくってくださったと。